(32)関ヶ原の戦い

質問者:ハイル禅師 関ヶ原の戦いでは
布陣が良く 兵力でも優った西軍が
なぜ東軍に敗れたのでしょうか?

私:関ヶ原の戦いでは西軍の総大将が
毛利輝元であり 東軍が徳川家康でしたが
西軍は実質的には石田三成が主導しています

五奉行の石田三成と五大老の徳川家康とは
人望の違いや石高(十倍以上)が比較にならず 
西軍は開戦前から 東軍に調略されており 
不安要素を抱えていました

特に大阪城に居た毛利輝元は五万強の兵力を動かさず
毛利が家系を調略した吉川氏・小早川氏も日和見状態
でした

いざ開戦が始まると西軍がしばらくの間は有利になるが 
家康が西軍の若い小早川秀秋に大砲を打ち付け
寝返りを促した為 1万五千の小早川軍は
西軍の千五百の大谷吉継などに奇襲した事で
次々と西軍に離反者を増やし東軍の戦況が
逆転しました

毛利輝元は 呉の初代皇帝孫権を前世に持つ
毛利元就の孫であり 元就は強敵の陶氏や尼子氏などを
離間の計等で滅亡させた器の持ち主だが
輝元には才覚と器が無かったのである

小早川秀秋は石田三成よりも報酬が小さい徳川家康に
ついたが 家康は劉備玄徳の再誕であり 守護が厚く
徳が大きかった事が最大の勝因である

東軍が戦勝して二年後 秀秋は西軍の武将である
宇喜多氏・大谷氏・三成氏などの強烈な怨霊により
二十一歳で若くして狂死にしている
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淡路島渡島船中にて