(13)今川義元は愚将だったのか

質問者:ハイル禅師 1560年に桶狭間の戦いで敗れた 
今川義元はテレビドラマで見るように愚将だった
のでしょうか?

私:今川氏は京都の公家の出でもあり 格式のある家柄
ですので 家臣といえども下々の者と直接親しく触れ合う
ような方ではなかったのです

そこに目を付けたのが「武田信玄」です 今川の駿河の
領地には 金や海産物や塩がとれるからです

武田信玄は北条氏や今川氏と「三国同盟」を結んだ後も
虎視眈々と今川領を狙っていました

信玄は背後の安全を同盟で守り 越後の上杉謙信と
信濃国 川中島で五回も対決するが決着がつかず 
さらに今川領に注目し駿河に武田側の間者(しのび)
や武将をしのばせることに成功します

今川義元が前衛部隊で織田陣営の砦を攻撃中
警戒のために高台に設置した武将が信玄の部下であり
寝返りをされ信長の奇襲部隊を素通りさせたのである

義元は愚将ではなく知将であったが人心掌握が下手
だったのであります

それにくらべ信玄は武勲のあったものに「甲州金」を 
その場で与え 部下の掌握が大変うまかったと言える

桶狭間では小雨も降り 信長の強襲が成立して
義元は打ち取られてしまったのです
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

ハイル語録厳選


09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -



淡路島渡島船中にて